沖縄へ行ったのだが、今回は軽石に「してやられた」。
元々の計画は、関西空港-ピーチ→那覇空港-やんばる急行バス→運天港→伊是名島→運天港→伊平屋島→運天港-やんばる急行バス→ 那覇空港-スカイマーク→神戸空港 と、フェリーで伊是名島と伊平屋島へ行くつもりだったが、これが
関西空港-ピーチ→那覇空港-やんばる急行バス→今帰仁城跡→本部港→伊江島→本部港→瀬底島→屋我地島→古宇利島→奥武島→嵐山展望台→羽地ダム→大浦マングローブ林散策路→オリオンビール名護工場→名護城跡-やんばる急行バス→ 那覇空港-スカイマーク→神戸空港 と大幅な変更を余儀なくされた。
フェリー乗船まで
どちらかというと天候面で伊是名島と伊平屋島へのフェリー運航が気になっており、那覇空港に着いてから運天港に電話してみると、「軽石の影響で午前の便は欠航。午後の便は検討中。」との返事。1週間ほど前にも小笠原諸島から漂着した軽石でフェリーが欠航になったニュースは見たが、よりによって今日になって再発するとは...時間もあるので空港内のレストラン「風月」でそば(ソーキそばではないが)を食べながら、オリオンビールで乾杯!
とにかく予定通りやんばる急行バスに乗り、午後の便の運航を祈る。「やんばる急行バス」とは那覇空港から名護や美ら海水族館を通って約3時間で運天港まで行く高速バスである。バス内で伊是名島のサイトを何度かチェックしていると、「運航」の表示が。ヤッター、天は私を見捨てなかった!
いよいよ運天港が近づき、念のため再度伊是名島のサイトを見ると...今度は「欠航」に変わっている! 他のニュースサイトを見ると、運天港に軽石が多くてフェリーが近寄れず、伊是名島へ戻ったようだ。「調査中」から一度「運航」になったフェリーが「欠航」に変わるとは...頭が真っ白になった。しかし、このまま運天港へ行くと、帰りのバスも限られる。いざという場合のために何となくイメージしていた伊江島に行き先を変更する(伊江島行きのフェリーは運航していた)。近くのバス停で降りる。
伊江島行きのフェリーが出る本部港へ行くバスまで1時間近くあったため、(比較的)近くにある今帰仁城跡観光を試みた。そこから歩くと2kmほどあるため、ヒッチハイクを何度か試みたが、行き先を書いたボードも無いため、泊まってくれる車はない。自分が若くてかわいい女性であったら、すぐ泊まってくれるだろうに...普段は女性に生まれたいと思わないが、今はそう思う。諦めて自力でスマホの道案内を片手に競歩的に歩く。時間ギリギリで何とか今帰仁城跡入口に着いたどー!
中に入りたいが、次のバスの時間を考えると間に合わない、入場料がかかることもあり、入口まででバス停に向かい、そこから本部港に着いた。
伊江島
本部港からフェリーに乗り、伊江島に着く。途中で伊是名島の宿とレンタサイクルのキャンセルと、伊江島の宿とレンタサイクルの予約を何とか済ませた。
港近くのT.M.Planningでレンタサイクルを借り、急遽予約したホワイトハウスでチェックインする。夕食は宿で教えてもらった「居酒屋沙武」で刺身やオリオンビールを堪能した。波乱万丈の1日が終わった。
翌朝はホワイトハウスで朝食を食べた。デラックスで大満足! 今日こそは無事に伊平屋島へ行けるように。
朝食を早めに済ませ、伊江島を一周すべくレンタサイクルで出発だ! というところだが、外はしっかり雨が降っている。持ってきたセブンイレブン購入かっぱを着て自転車を走らせる。海沿いで風をさえぎるものもなく、顔に横殴りの雨を受けながら自転車をこぐ。戦争中は防空壕にも使われた「ニャティア洞」に来たが、人っ子一人いない。
立ち入り禁止の米軍演習場を左に見ながら、ズボンや靴下は雨でずぶぬれになりながら、自転車をひたすら走らせる。宿を出発して1時間ほどで、伊江港とは反対側の湧出(ワジー)に着いた。ここにも軽石が漂着して、帯状になっている。
ようやくスマホの電波がつながったため、伊平屋島のフェリー状況をチェックする。「午前は欠航、午後は調査中」の文字が。昨日と同じパターンだ。伊平屋島のフェリーが運航しておれば、10時伊江島発のフェリーに乗って、本部港からやんばる急行バスで運天港へ行き、そこから午後便で伊平屋島へ行くつもりだったが、調査中では何とも分からない。これまでの経験では「調査中」の場合は運航に変わる可能性が高かったが、昨日のことがあるため、また昨日も運航の判断が出たのが12時以降であったため、今回は伊平屋島行きを諦め、13時発のフェリーまで伊江島を観光することにした。
その後に寄った反戦平和資料館では、これまで日本やアメリカに支配され、搾取・虐殺されてきた記録である写真や手記などが展示されていた。私のような内地の人間から見ると、「中国や北朝鮮から日本を守るための米軍基地に、なぜ沖縄の人は反対するのか?」と疑問に思っていた。しかし、沖縄のこれまでの歴史である、江戸時代には薩摩藩にサトウキビの栽培を強制され、激しく搾取されたため、ソテツの実などを食べるしかなく、戦争中は日本軍に防空壕を追い出されたり食料を搾取されたり、自爆を強制されたりし、戦後は米軍に土地を追い出され、元々の自分の土地で作物を栽培しようとすると焼かれたり銃殺されたりした。このため、沖縄の人にとっては、これまで支配されたことのない中国や北朝鮮よりも、日本やアメリカの方が侵略者なのでは、と感じた。戦平和資料館のおばあは、雨に濡れてきた私にタオルを手渡してくれた。島の人の優しさにも触れることができた。
伊江港に戻り、念のため伊平屋島のサイトを見ると、午後便が本部港発着に変更になり、運航に変わっていた。これだったら10時に伊江島を出ていれば余裕で伊平屋島に行けたのに...もしかしたらと思い、水納島へのフェリーを調べてみたが、これも悪天候と軽石で欠航だ。仕方ないので、名護からドライブ旅行をすべく、レンタカー店へ電話するが、当日で空車のない店が多く、あっても名護のバスターミナルから遠い店が多い。ようやく6店目で、レンタル価格は高いものの、やんばる急行バスのバス停に近い店で、レンタカーを予約することができた。
伊平屋島の宿とレンタサイクルのキャンセルは午前中に済ませていた。次は今日泊まる宿の確保だ。フェリーで島へ行けないので、せめて橋で行ける島の宿を探す。瀬底島で1つ候補を見つけて電話してみたが、既に廃業したそうだ。屋我地島で「海人の宿」を見つけて、予約することができた。
瀬底島
夕方まで時間があるため、レンタカーで瀬底島へ向かう。ヒルトンホテル前の瀬底ビーチへ行く。ヒルトンホテルの駐車場が「10分まで無料」と書かれていたため、車を停めて急ぎ足でビーチへ行って、写真だけ撮って駐車場に戻ったら、10分経過していたらしく、200円支払うはめになってしまった。
屋我地島、古宇利島
屋我地島の「海人の宿」では、オリオンビールを飲みながら、宿のおばあと屋我地島の話などをした。
翌日は前日とは打って変わって晴天だ。古宇利島へ向かう。古宇利島は行くのは11年ぶりだ。当時よりも観光地化が進み、カフェやマリンショップ、ペンション、有料駐車場が増えていた。センターラインのある道路もできていた。前回は知らなかったハートロックも見ることができた。
途中で屋我地島から運天港が見えた。やはり軽石の帯で覆われている。軽石のバカヤロー!(言っても仕方ないが)
その後、屋我地島の宿のおばあに教えてもらった嵐山展望台へ行き、屋我地島の全景を見ることができた。
名護、帰路
昼過ぎに予約したオリオンビール名護工場を見学する。こちらも訪問は11年ぶりで、見学コースが新しくなっていた。伊江島産大麦使用をアピールしていた。
その後は何とかやんばる急行バスとスカイマークで予定通り帰宅できた。
過去にも沖縄の島ツアーは、波照間島への船が海のシケで欠航して、代わりに竹富島や黒島へ行き、改めてチャレンジしたり、渡嘉敷島も那覇への飛行機と島への船がともに欠航になってこちらも再チャレンジとなったりと、一度では行けなかったことがあった。今回も忘れられないツアーとなった。伊是名島と伊平屋島も是非再チャレンジしたい。