5時過ぎのシャールジャ(アラブ首長国連邦)行きの飛行機に乗るため、深夜2時半にホテルをチェックアウト。今回もホテルの受付にタクシーをYandexGoのアプリで呼んでもらった。私はホテルのフロントのすぐ外で待っていたのに対し、ドライバーはホテルの敷地の外の道路に来ていた。ホテルの受付に連絡を取ってもらってドライバーに会うことができたが、自分で呼んでいたら、今回もドライバーに会えなかった可能性がある。YandexGoは詳細な地図が不正確なケースがあり、ロシア語が話せないと厳しい場合があるようだ。
アルマティ空港では出国審査や荷物チェックを終えて、搭乗ゲートへ行こうとすると、ゲートが閉まっており20人以上の人が並んでいる。15分ほど経って開いたので行こうとすると、「〇〇行きだけだ(行き先は聞き取れなかった)」と、止められる。更に15分ほど経って「シャールジャ!」と私の行き先が告げられ、ゲートを通過できた。そのまま進むと、一般的な空港のように登場口前に待合席がないため、全員を1か所で待たせて、ボーディングが始まった段階で、初めて搭乗ゲートへ案内するシステムだった。ゲートが開かなかったらどうしようかと思った~
Air Arabiaの飛行機に乗ると、隣の座席に座っていた夫婦が、赤ん坊も座らせたいため、反対側の席へ移ってもらえないかと頼んできた。特に問題ないが、フライトアテンダントが「搭乗完了するまで待って欲しい」と言うので待っていると、私をビジネスクラスへ移動させてくれた。ラッキー! 「これで食事も食べられるな。ビールも飲めるかな。」と期待していると、一人一人ビジネスクラスの乗客の名前を呼びながら食事と飲み物を運んでくる。どうやら、事前に自分の好みの食事と飲み物をリクエストしておくシステムのようだった。残念。すると、食事が余ったみたいで、私にも食事を持ってきてくれた。再びラッキー! 中を見ると、カレーで、それもご飯ではなく、クスクスだった。何か複雑。
シーラーズでの旅程は、エラム庭園→ハーフェズ廟→アリー・エブネ・ハムゼ廟→コーラン門→シャルゼ(夕食)。
シャールジャからの出発時刻になっても搭乗が始まらずあせったが、30分後に始まった。イランのシーラーズ空港で会う予定のガイドにメールで状況を連絡する。今回はエコノミークラスだったが、シャールジャまでの飛行機と同じカレーとクスクスの機内食が出た。ということは、先ほどの機内食もエコノミークラス向けだったということか! 結局20分程度の遅れでシーラーズ空港に着いた。
イランでは一部の自由観光や夕食、都市間のバス移動を除いて、イランの旅行会社であるHomaharan Tour and Travel Agencyに依頼しているため、これまでと違って気が楽だ。空港からホテルの移動も、これまでだとぼったくりタクシードライバーと戦わなければならなかったが、今回は送迎付きだ。
元々のスケジュールでは、バザールとヴァキールモスクへも行く予定だったが、金曜日でどちらも閉まっていたため、翌日に行くことになった。また、これまでの国では、到着した空港で現地通貨への両替またはクレジットカードでのキャッシングと、SIMカード購入をするのだが、これも金曜日(イスラムでの休日)ということで、銀行を含めた全ての店が閉まっており、翌日回しとなった。(一部はガイドが事前に両替しておいてくれた。)またイランでは国際キャッシュカードが、支払いもキャッシングも全く使えないとのことだった。おまけにガイドによると、イランでもキャッシュレスが進んでおり、国内銀行のデビットカードのみで現金を受け付けないところも増えているとのこと。そうなると、デビットカードが作れない外国人は、支払い手段がなくなることになる。
世界遺産でもエラム庭園は、春ではないため有名なバラはほとんど咲いていなかったが、木陰も多く、ゆったりした時間を過ごせた。
以前であればシャー・チェラーグ廟へ行っていたそうだが、 年前の銃乱射事件があってから、シャー・チェラーグ廟への訪問は避けるようにとの日本外務省の通知もあり、シャー・チェラーグの甥であるアリー・エブネ・ハムゼ聖廟を訪問するようになったとのこと。前面鏡のモザイク張りで神秘的だ。願をかけにくる人が多い。イスラム教はアッラーの一神教だが、アリー・エブネ・ハムゼ聖廟はイマム(シーア派の最高指導者)だったアリー・エブネ・ハムゼを祭ったものである。仏教徒の日本人が願をかけに神社へ行くようなものか。
コーラン門はシーラーズ市の入口にあり、やや高台にあるため、シーラーズを見下ろすことができる。主要道路の交差点で、トラック用の警察の検問もあるため、常に渋滞しているとのこと。
夕食は「地球の歩き方」に載っていた「シャルゼ」に行った。地球の歩き方には「夜には民族楽器の演奏がある」と書いてあったが、ガイドによると「この2か月は喪に服す月のため、演奏などはない」とのこと。毎年2か月も喪に服すとは、大変だ。まだSIMカードを購入しておらず、グーグルマップが使えないため、ガイドが入手してくれた観光地図を見ながら歩くが、自分がどこにいるかが分からなくなってきた。通行者の1人に聞くと、店まで連れていってくれた。カザフスタンもそうだったが、イラン人も親切な人が多い。
店ではガイドが初日の食事として勧めてくれた、クビデ(挽肉のケバブ(串に差して炭火焼きしたもの))とボロ(混ぜご飯)、加えてマッシュルームスープを注文した。どれも美味しくいただいた。
ホテルではWi-Fiが故障しており、SIMカードも未購入で、ネットにつながっていない一夜を過ごした。不便だが、これもイランらしさだ。